歴史散歩
第24回『長谷寺』
所在地:奈良県桜井市初瀬
長谷寺の創建は奈良時代とされていますが、詳しくは不明です。伝承では、道明が初瀬山の西の丘に三重塔を建立し、 続いて徳道が東の丘に本尊十一面観音像を祀ったのが「長谷寺」の始まりとされています。また、現在では「長谷寺」を名乗る寺院は、
日本各地にあり、他と区別するため「大和国長谷寺」「総本山長谷寺」等と呼称することもあります。
第23回『おふさ観音』
所在地:奈良県橿原市小房町
おふさ観音の由来は、「おふさ」という娘が、池の近くを歩いていると、 白い亀に乗った観音様が現れ、そこに小さなお堂を建てたのが始まりです。 その後、村人に厚く信仰され、誰からともなく「おふさ観音」と呼ばれるようになりました。
第22回『壺阪寺』
所在地:奈良県高市郡高取町壷阪
創建は、弁基上人が山で修行していた時、水晶の壺を坂の上の庵に納め、 観音像を刻み祀ったのが始まりといわれています。また、 お里・沢市の夫婦愛を綴った『壺坂霊験記』でも有名です。
第21回『明石城址』
所在地:兵庫県明石市明石公園
大坂の陣の功績により、信州松本から小笠原忠真が明石の地を与えられ、明石城を築城しました。 本丸に天守閣は作られなかったものの、石垣は、とても美しい反りで、2つの櫓と調和しています。
第20回『本徳寺』
所在地:大阪府岸和田市五軒屋町
この寺を開いたのは南国和尚(明智光秀の子)です。元々は、貝塚の鳥羽の海雲寺が、 岸和田に移転して、本徳寺となりました。代々光秀の所縁の品々が伝られてきましたが、
今はなく、現在は、日本で唯一の光秀の肖像を所蔵しています。
第19回『仁徳天皇陵』
所在地:大阪府堺市堺区大仙町
仁徳天皇は、民家から炊事の煙がのぼらないのを見て、人々が困っているのを察し租税を三年間免除したり、 河川の整備や水田の開墾など、善政を行い聖帝と讃えられ理想的な天皇とされています。
また、日本最大の古墳で、エジプトのピラミッドよりも大きく、世界三大墳墓の一つに数えられています。
第18回『朝護孫子寺』
所在地:奈良県生駒郡平群町信貴山
醍醐天皇が御病気になられたおり、命蓮上人が毘沙門天王に祈願をすると、 天皇の御病気は、たちまちにして治りました。そこで天皇より、 朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」の名前を授かりました。
また、「信貴山寺」とも呼ばれ、親しまれています。
第17回『高野山』
所在地:和歌山県伊都郡高野町
高野山は、平安時代に弘法大師空海が修行の場として開いたのが始まりで、 1,000m級の山々に囲まれた日本仏教の聖地の一つです。 現在では、総本山の金剛峯寺をはじめ117の寺々からなる宗教都市を形成しています。
第16回『岸和田城』
所在地:大阪府岸和田市岸城町
楠木正成が、甥の和田高家に城を築かせたのが始まりと言われています。 当時「岸」と呼ばれていた地に和田氏が城を築いたので「岸の和田」と呼ばれ、
「岸和田」と呼ばれるようになったと伝わっています。その後、 幾多の戦乱・城主を経て江戸時代初期に岡部宣勝が入城し、 明治初期まで岡部氏13代の居城となりました。
第15回『当麻寺』
所在地:奈良県葛城市當麻
当麻寺は、麻呂子親王が河内に万法蔵院を建立したものを、当麻国見が、現在の場所へ移したのが当麻寺と伝わっています。 又、極楽浄土を表した「当麻曼荼羅」と、それにまつわる中将姫伝説で知られています。その伝説とは、
千巻の写経を成し遂げたある日、二上山に沈む夕陽に阿弥陀如来の姿を見た姫は、観音さまに導かれるように当麻寺を訪れます。 その後、あの時に見た阿弥陀さまがおられる極楽浄土の光景を、五色の蓮の糸によって織り表したのが、国宝「当麻曼荼羅」です。
第14回『安倍文殊院』
所在地:奈良県桜井市阿部
安倍文殊院は、大化の改新の時に左大臣の安倍倉梯麻呂が建立しました。 当時は「崇敬寺」と呼ばれ別名が「安倍寺」であったことから現在は安部の文殊さんで親しまれています。
また、陰陽師で有名な安倍晴明が陰陽道の修行をしたともいわれています。
第13回『談山神社』
所在地:奈良県桜井市多武峰
当時の日本は、蘇我蝦夷と入鹿親子が、国の政治を我が物にしていました。中臣鎌足(後の藤原鎌足)は、 中大兄皇子と共に、ここ多武峰の山中で「大化改新」の談合が行われ、その後改革は成し遂げられました。
鎌足が亡くなった後に長男が、多武峰に父の墓を移し十三重塔を建立したのが談山神社の起源と伝わっています。